No.022 以前削除したファイルの復活版です。
学生の頃、境川というドブ川をチャリンコでたどっていると首都高速小松川線の少し南に鉄橋の土台らしき物を発見しました。
しかし、こんな所に鉄道があったなんて聞いたことがなかったので道路橋かとも思いましたが横切る道路がありません。
片側だけだがこの土台はどう見ても単線のガーター用…。
何年か後、ピクトリアル誌でここが城東電気軌道今井線の跡であることが解りました。その上、今井街道にはトロリーバスが走っていたことも書いてありました。
しばらくしてあの場所に行ってみるとドブ川は親水公園になってしまい鉄道の跡は消えてしまいました。
しかし、まだ一之江境川はドブのままで複線?の橋台が残っていました。(途中略)
城東電気の鉄橋跡 | |
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城東電気の廃線跡 | |
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上の写真は後の都電25番、城東電気軌道の廃線跡です。バラストと築堤だけでなく架線柱の土台も残っていました。
当時の廃線跡はだいたい道路になりましたが、再開発で途中から曲がった道路になってしまい少し異なります。終点の西荒川停留所は現在の首都高速道路下り線の真下付近です。
S43.9/28の廃止後も長い区間で軌条が残っていた浅間前停留所跡付近 | |
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上の写真は浅間前停留所跡で渡りのポイントまでも残っていました。
複線で残ったレールの外が道路になっていて内側が駐車場や花壇になっていました。
当時は神社が家の裏にあったのですが現在は区画整理で道路に面しています。
有志によってポイントは近くの小学校に寄贈された。(すばらしい)
浅間前に残っていた軌条が浅間神社境内にも保存されています(屋外です)。
昔の今井
現在、トロバスが回頭していた今井の街は新大橋通りが乗り入れてきて様相が一変してしまいました。
面影があった昭和61年8月5日に撮影した今井の街です。郵便局の建物がいい感じでした。
昭和50年頃までこの先は行き止まりでした。今井橋は少し上流(画面左手)に架かっており、渡った市川市側もT字路でした。
大正14年12月31(30)日に開通した江戸川線の停留所名は以下の通りでした。
東荒川、中ノ庭、松江、一之江、瑞江、今井
途中に複線で交換できる場所がありました。松江停留所は松江3−11、12近辺現在の細い道路が線路跡。
26番は昭和27年5月20日に廃止され、代わりにトロリーバスが走りました。
今井から、東小松川、亀戸、太平3、業平橋、言問橋、鶯谷、根津1、上野公園
しかし、この架線から電気をもらって走るエコロジーな電気バスもモータリゼーションの中長くは続かず、
昭和43年9月29日に都電25系統と共に廃止になりました。
このように地下鉄開通まで鉄道が無かったと思われた江戸川区中央部にも都電が走っていたのです。
(隣の葛飾区は山手線以東で都電の走らなかった珍しい区)
竪川人道橋
私は荒川線に乗車したことは無いが、都電で錦糸町から砂町方面によく乗車しました。
都電29系統は昭和47年11月12日に廃止になりました。
現在でも都電の鉄橋が残っています、写真の竪川人道橋がそうです。
平成12年1月30日撮影。
他にも城東電気の記念碑はあり、洲崎線が越中島線をくぐっていたガードの近くにレールと車輪が保存展示されています。
かつて城東電気は白木屋デパートの1Fに駅があったという。右写真。
古地図 昭和7年で城東電気の確認ができます。
江戸川区に都営新宿線の画像あります。
「新小岩のどぶ川と橋」のページとして独立しましたのでそちらもどうぞ。